03月12日(木)
2020年3月11日
今年の3月11日はやまがたアルカディア観光局による長井市から浪江町への慰霊バスツアーが企画されていましたが
新型コロナウィルスのためこちらが中止となり、万全を期した状態で関係者十数名で浪江へ行くことになりました。
浪江高校のあった校舎の近く、2014年の5月に浪江町の実証田を酒屋さんと見に来た場所の近くでした。
当時は今より赤く見えた山砂でその性質上の部分でいろいろ苦労されている等話をしてくれたのは
この地で農家として米を作っている半谷さん親子。
きびしい状況の中でも品質へのこだわりをしっかり持っている印象でした。
今年の台風の被害を聞くとその話のなかで、倒伏すると検査基準が変わってしまうということを聞きました。



浪江町役場の体育館に着くとボリュームたっぷりのなみえ焼きそばを堪能。
その後で役場の蒲原さんより浪江町の復興への取り組みを聞きました。
これまでに何度も浪江には来ていますが、取り組みの全体像を聞くことによって
より具体的に未来が想像できました。
長井市の人たちからは鋭く具体的な質問が飛び、
福島県民ではない人たちの意見の視点や視座は刺激になりました。



大平山霊園の慰霊碑に移動し、その高台から請戸を見下ろし震災当日、津波到来の時の生々しい話を聞きました。
大勢の方の犠牲や危機に晒されていた人々の恐怖が訪れた人たちの胸に去来しました。
花を供えて皆で悼み、花を回収して請戸港へ移動しました。


大規模な工事により日々刻々と変わる請戸の道路状況。
一行は防波堤の手前で工事通行止めに当たりそこから歩いて行くことになりました
その時点で14:44ぐらい。みんなで懸命に走りましたが黙祷のサイレンには間に合わず、
防波堤の階段を駆け上がって思い思いに黙祷をささげました。
みな全国一律この時間に黙祷をささげますが9年前のあの日
この時間をきっかけにしておこった事は、亡くなった人はもちろん、その直後心も体も休まらない時間を過ごした人や
いまだ苦しめられている人々の中でいまだ起きていることで時間の区切りというのも
一つの共通認識であるだけなのではないかと思います。



堤防の上から被災後の蔵跡地の様子を写真とともに紹介してくれました。
重量のある巨大な酒造道具が流失したこと、街並みのこと、阿武隈の山々の景色が美しいことなどを聞きました。
帰り道、くさ野神社に寄りお参りをして帰路につきました。
14日に常磐線が全線開通するからか、今までは誰もいなかった駅の回りには人が数人いて
区域解除のおかげで国道6号にはバイクや二輪車が多く見られ、
なんとなく賑わいや人のパワーや希望を今まで以上に感じられた2020年3月11日の浪江でした。